人はそれぞれ違うもの


「アメリカやヨーロッパの書物を翻訳をする上で最も悩むのは、聖書からの引用をどう翻訳するかである」と翻訳家の人が述べているのを聞いたことがある。

アメリカ人やヨーロッパ人が共通知識として知っている聖書の教えや伝説などが書物の中にはたくさん登場する。

聖杯伝説は、おそらく日本人が桃太郎の話を良く知っているように、彼らにとっては常識として知っているものなのだろう。あるいは、マグダラのマリアに対しての共通したイメージを持っているのだろう。これらがベースにないと、「ダヴィンチ・コード」は面白みに欠けるのかもしれない。

言葉で何かを伝えようとするときに、最終的に課題となるのは、このような背景、文化、価値観、歴史を共有しているかどうかとなる。

日本人どおしが日本語でコミュニケーションをするときにも、少なからず同様の問題があるようだ。文化や価値観は、会社が違えば異なる。職種が違えば異なる。年齢が違えば異なる。性別が違えば異なる。

私が聖書を読んだりするのは、昔、多様な人種、多様なな宗教、多様な国籍、の人たちと仕事をした経験からきている。彼らを理解しなければ真にコミュニケーションをとることが難しかったのだ。

私たちは、もう少し、自分と違う(会社、職種、年齢、性別、など)人たちを理解することに努力をした方が良い。円滑なコミュニケーションはそういう土台の上に築かれるものだ。決してハウツー本を読んだだけで得られるものではない。

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