逆シングルで捕る


2週間ほど前のある新聞記事より

今季、米国大リーグ、ツインズに入団した西岡という遊撃手がいます。彼は、あるとき試合で目の覚めるようなファインプレーをしました。三遊間深くに転がったゴロをに追いつき、体の正面で捕球。一塁にノーバウンドで送球し、間一髪でアウトにします。

後日、監督から注文がつきました。「体の正面ではなく、逆シングルで捕って欲しい。そうすれば、もっと早く打者走者を刺せるはず。」

三遊間のゴロの処理について、日米間で考え方の違いがあります。

日本では、ゴロの正面に回り込んで捕るのが基本。球を後ろにそらさない確実性が重視されています。一方、大リーグでは、体から右よりのゴロは、グラブを伸ばして片手でとる逆シングルが主流。球をはじくリスクもあるが、無駄な動きが無い分、素早く送球体制に入れます。

正面で捕るのは、いかにも日本人らしい。正面で捕っていては、どんなに堅実なプレイをし、エラーを無くしたとしても、どうしても一定割合で打者に内野安打を許します。

にも関わらず、正面で捕るのはなぜでしょうか?正面で捕ってさえいれば、内野安打を許してもエラーと判定されないからでしょうか?エラーと判定されなければ自分のせいではないからでしょうか?

合理的には、こう考えるべきです。 「正面で捕って内野安打を許す確率、逆シングルで捕ってエラーする確率、どちらが大きいのか?」 判定が内野安打であれ、エラーであれ、どちらにしても走者を許すわけで、結果は同じなんですから。

さて、私たちは、同様の状況に、日常の仕事の中で、年中遭遇します。いつもエラーしないやり方、「体の正面で捕る」やり方、だけを常識だと思い込んでいます。でも、「逆シングルで捕る」やり方についてちょっと考えてみましょう。その方が、合理的に考えて、成功確率を高めるということはあるのだから。

仕事の達人になりたいのであれば、仕事をすること


本を読まなければいけない
自転車に乗らなければいけない
泳ぎにいかなければいけない
ツイートしなければいけない
Facebookをチェックしなければいけない
音楽も聴きたい
映画も見たい
メールも見ないといけない
ニュースを読まないといけない

やりたいことややらなければいけないことはどんどん増えるばかりだが、使える時間は増えないので何かが犠牲になってしまったりします。

私の場合、何とかしなければいけない切実な問題は英語に使う時間がとれていないことです。

英語学習は理屈ではなく、英語で話したり聞いたりしている時間を増やさないことにはどうにもなりません。

考えてみれば、何をやるとしても、何かを習得しようと思えば、かなりの時間を、繰り返し繰り返し、それに費やさなければなりません。

野球のバッティングを極めたいのであれば毎日毎日、何百回も素振りをすべきです。楽器を上達させたいのであれば、毎日毎日、3時間の練習をすべきです。

これは、筋肉のためだけではなく、脳のシナプス結合を最適化させるためにどうしても必要な訓練です。

同じように、プログラムを書く仕事であっても、マーケティングの仕事であっても、その仕事の達人になりたいのであれば、方法は仕事をすることです。没頭することです。

スピードを求める時代なので、早く上達しようと気ばかりが焦る気持ちはわかります。しかし、「誰にでもできる」「簡単にできる」「すぐに成果がでる」と書かれた書物に頼ってはいけません。また、理論とか法則のようなもので何とかなると思ってもいけません。

そのようなものは全てインチキです。そのようなもので成功した人を私は知りません。

上達しようと思えば、時間をかけるしかありません。

だから、英語の時間を何としてでも作り出さなければならいと思っています。何の時間を削ろうか?

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5月1日はセナの命日


5月1日は、アイルトン・セナの命日です。 16年前、1994年5月1日、サンマリノGPにおいて事故死しました。

アイルトン・セナは偉大なるヒーローでした。 どうしてあんなにみんなセナに惹かれたのでしょうか。

「セナ足」と呼ばれた誰にもまねのできないテクニックに惹かれたということもあります。 ホンダのエンジンと共に戦ったということもあります。 しかし、最も人を魅了したのは、限界に挑み続けるその姿勢であったに違いありません。

以前、「やる気が不足しているときはセナを見よ」とブログに書きました。 今もそれは変わりません。 

感動の、そして伝説のレースをいくつか・・

1988年 日本GP
スタートのトラブル、14位から奇跡の優勝。初のドライバーズチャンピオンを決めた。セナが「神を見た」伝説のレース。

1991年 ブラジルGP
ギアトラブルにより最後の7周は6速だけで走りきり、泣き叫びながらゴールするセナ

1993年 ヨーロッパGP
オープニングラップで4台を抜き去りトップに立つ神がかりの走り。、

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縁起の法則


釈迦は菩提樹の木の下に干草を敷いて静かに座り瞑想し、ついにこの世界や人生に関する真理を悟って仏陀となったという。

釈迦が悟ったのは縁起の法則というものだ。 縁起とは、世の中のさまざまな存在や現象は、ある原因を持っており、それに一定の条件が加わって、その結果として存在や現象が現れるという考え方だ。

釈迦は、縁起の法則によって、世の中にある苦しみというものは結果であって、その原因を探れば、それは世の中の真理に対する根本的な無知(無明という)であると悟った。 だから、世の中の苦しみを無くすためには、その原因である無明を滅しなければいけないといった。

仏教とかいうものは、非論理的な世界と考えていたが、釈迦のもともとの教えは、すごくシステマティックで論理的思考に基づいているので驚かされる。

システム思考に関する本を読んだとき、世の中の現象を原因と結果の因果関係によって表そう、という根本的な発想は釈迦の教えと同じだと思った。

世の中の物事や現象を、それぞれの個別の要素だけでとらえようとしても本質的なところがわからない。いろいろな要素のそのつながり方がわかれば、どこをどうすれば、期待した結果を得られるのかがわかる。

製品の売上を伸ばすのも、工場の不良率を下げるのも、地球環境を良くするのも、的外れなところをいくら改革しても良い結果が得られない。

ということで、システム思考でいろいろな現象の因果関係を表してみよう・・・・と思うのだが、これが難しい。

だいたい世の中の現象は、単一の原因が単一の結果を引き起こしている、などという単純なものでないから、いろいろな要素があっちこっちにつながり、あるときはループし、あるときは正の力が働き、あるときは負の力が働き、あるときはどっちが原因でどっちが結果かがわからなくなる。

というわけで、それは釈迦が縁起の法則を発見し悟りをひらくように難しいのだから、気持ちを落ち着けて深く深く考えるしかない。

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大規模構造


今や誰でも知っていることであるが、地球は太陽の周りをまわり太陽系という構造体の一部となっている。

太陽のような星は恒星と呼ばれる。 恒星とは水素やヘリウムの核融合によって自ら輝く星である。恒星が1,000億個も2,000億個も集まって更に大きな構造体を形成している。これが銀河である。地球は太陽の周りをまわっているが、太陽もまた回転していて、銀河の構成要素の一つだ。

銀河も1,000億から2,000億個は存在すると言われている。

1986年、ハーバード大学教授 マーガレット・ゲラーがそれより更に大きな宇宙構造を発表した。銀河は無秩序に宇宙に配置されているわけではなく、4億光年間隔で並んだ平面上の壁のように分布しているのだという。 この構造からグレートウォールと呼ばれた。 (この構造を3Dグラフィックスなどですごく分かりやすく見せてくれるサイトはないのかと探してみたが見つからず。知っていたら是非教えてください)

何事にも要素があり構造がある。ある小さな構造は更に大きな構造の一部となり、それはまた、そのまた大きな構造の一部となる。

狭い視野では見えてこないものがる。見える人と見えない人がいる。 見える人だけがその構造を理解し、勝者となる。

仕事の上で大きな構造が見える人になるにはどうしたらいいのか?  理解するとはどういうことなのか、その脳のメカニズムや習得技術に関する書籍がたくさん発行されている。 しかし、この本に書いてあることを理解することが、これまた難しいのだ。

構造を理解するための本を理解する人はそもそも構造を理解できている人で、構造を理解できない人は構造を理解するための本も理解しない、ということかもしれない。 パラドックスだ。

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