五蘊皆空


人間の行動の動機を理解する理論として、アブラハム・マズローの欲求段階説が引き合いに出されることが多い。人間は、生理的欲求(人間が生きる上での衣食住等の根源的な欲求)からスタートし、段階的に自己実現の欲求へと登っていくという理論だ。

これは正しいのかもしれない。人は最終的に自己実現の達成のために働くべきであるとは思う。

しかし、一方で、これは多くの人間にとって救済にはならないようにも思う。マズローも、自己実現を果たし自己超越の域に達する人は極めて少ない、と述べている。

多くの人は、モノ、金、地位、愛情などが手に入らないと嘆き、また一度手に入れても、それらを失うことを恐れて苦しむ。

そんなときに、仏教に素晴らしい教えがある。 「五蘊皆空(ごうんかいくう)」というものだ。

五蘊皆空は、般若心経の中に出てくる言葉だ。般若心経は、漢字262文字で構成された大変短い文で、大般若経と呼ばれる全600巻にもおよぶ大乗仏教の経典のエッセンスを凝縮したものであるという。五蘊とは、五つの集まりという意味で、簡単に言うと、物質とあやゆる精神のことだ。五蘊皆空とは、それらはすべて「空(くう)」であると言っている。

「空(くう)」の思想は、仏教の根幹を成すものだ。それを理解することは悟りの境地に達するということで、とても難しいことなのだろうが、勝手に解釈すれば、「あらゆるものは、すべて移り変わり、いずれ失うような実体のないものである。したがって、そんなものに執着しても無駄である。執着しても無駄なものに執着するから苦しむ。一切のものはそのような実体のないものであると理解し、執着しなければ苦しむこともない。」というようなことである(と思う)。

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