コミュニケーション能力


調査によれば、企業が新卒採用選考で最も重視する点は「コミュニケーション能力」。 「コミュニケーション能力」が、ここ数年間ずっとダントツで一位だ。

それだけ企業はコミュニケーションの問題に頭を悩ませている。 別に新卒や若い世代だけが著しくコミュニケーション能力に欠けるというわけではない。 どの世代でも、時代が求めるコミュニケーション能力に欠ける。 

会話でのコミュニケーションであれば多少の問題は補える。聞き出す側にスキルがあればなんとかなる。 質疑応答しながらなんとかなる。

問題は文字のコミュニケーションだ。 昔に比べれば文字でコミュニケーションする比率は圧倒的に高まった。 スピードを上げないと生き残れない時代だから、あらゆるコミュニケーションを顔を合わせた会話とするわけにはいかない。 

私たちは、Eメールを送り、グループウェアやSNSに書き込みコミュニケーションを図ろうとする。 しかし、伝わらない。 誤解を招いたり、嫌になるほどの不毛な文章のやり取りを繰り返し、時間をかえって浪費したりする。 

解決する方法は二つだ。

  1. 論理的な文章を書けそうな人だけを採用し、徹底的に鍛えること
  2. 合わなくても会話コミュニケーションが簡単にできるシステムを備えること

両方やるべきだ。 短期的には(2)を構築しつつ、長期的には(1)を実行すべきだ。

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次は「一緒にいる感じ」


失って初めてそのものの本質が理解できることがある。

先日、社内SNSを動かしているサーバーがハードウェア不調になり、社内SNSがほぼ一日停止した。

こうなると社内のコミュニケーションはEメール中心になるが、どうもつながり感が弱いのだ。

感覚で言うと、「Eメールは線でつながった感じ」、「SNSは面でつながった感じ」だ。

2年くらい前までは、Eメールだけでやっていたわけだが、ずいぶんと細いつながり感でやっていたのだなあ、と感じる。

コミュニケーションは、次に何を目指すかというと、たぶんもうつながり感ではない。 

「一緒にいる感じ」、「空間を共有している感じ」を目指すことになる。

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ヒアリング


「私は誰でしょう?」というゲームがある。

カードには歴史上の人物名などが書かれている。

カードは頭の上などに掲げられて他の人には見えるが、本人には見えないようにする。

「私は日本人ですか?」 「私は男性ですか?」 「私は江戸時代の人ですか?」 などと質問をしながら自分は誰なのかを当てるゲームだ。

テレビのバラエティー番組でもときどき行われる。

これがゲームとして成り立つのは、なかなか自分が誰なのか当てられないからだ。

ヒアリングとはこのように難しいのだ。 「聞かなかったあなたが悪い」と単純に思わないこと。 それではコミュニケーションが成立しない。

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そんなにEメールに頼るな


Eメールが広く使われるようになって10年以上が経つ。

この間に私たちの仕事をする環境も様変わりした。

情報の量は増え続け、仕事を処理するスピードの高速化はとまらない。

これまでEメールは常にコミュニケーションの主役を担ってきたが、もう限界にきている。 溢れるほどの情報を、混乱なく、多くの人たちが共有しながら、高速にコミュニケーションする能力をEメールは持っていない。

実際にEメールの制約が原因で引き起こすコミュニケーションの問題を体験している人たちも多いに違いない。顧客や社内の人たちと何かミスコミュニケーションしてしまうのだ。

今の時代に対応するコミュニケーションシステムを早急に構築すべきだ。

SNS、ウェブ会議、インスタント・メッセンジャー、Eメール、文書共有、BBS、・・・・インターネットが支援するコミュニケーション製品は揃っている。 どれか一つに依存するのではなく、これらを最適に使い分ける必要がある。

コミュニケーションミスが引き起こす時間のロスや信用の失墜によるリスクを考えれば、コミュニケーション製品には十分な投資と支援が必要だ。

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人はそれぞれ違うもの


「アメリカやヨーロッパの書物を翻訳をする上で最も悩むのは、聖書からの引用をどう翻訳するかである」と翻訳家の人が述べているのを聞いたことがある。

アメリカ人やヨーロッパ人が共通知識として知っている聖書の教えや伝説などが書物の中にはたくさん登場する。

聖杯伝説は、おそらく日本人が桃太郎の話を良く知っているように、彼らにとっては常識として知っているものなのだろう。あるいは、マグダラのマリアに対しての共通したイメージを持っているのだろう。これらがベースにないと、「ダヴィンチ・コード」は面白みに欠けるのかもしれない。

言葉で何かを伝えようとするときに、最終的に課題となるのは、このような背景、文化、価値観、歴史を共有しているかどうかとなる。

日本人どおしが日本語でコミュニケーションをするときにも、少なからず同様の問題があるようだ。文化や価値観は、会社が違えば異なる。職種が違えば異なる。年齢が違えば異なる。性別が違えば異なる。

私が聖書を読んだりするのは、昔、多様な人種、多様なな宗教、多様な国籍、の人たちと仕事をした経験からきている。彼らを理解しなければ真にコミュニケーションをとることが難しかったのだ。

私たちは、もう少し、自分と違う(会社、職種、年齢、性別、など)人たちを理解することに努力をした方が良い。円滑なコミュニケーションはそういう土台の上に築かれるものだ。決してハウツー本を読んだだけで得られるものではない。

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