先日亡くなった作詞家 阿久悠氏は大変なメモ魔であったという。
おそらく寝ているとき以外は詞のことを考えていたのだ。電車の中つり広告を見ていても、雑誌を読んでいても、テレビを見ていても、新聞を読んでいても、いつも詩のヒントを考えていたのだ。 アイデアはいつ思いつくかわからない。思いついたらいつでもメモしておかないと怖いのだ。
昔も今も、アメリカでも日本でも、できるビジネスマンには一つの共通した習慣がある。「書いて残す」という習慣だ。
ミーティングを行うとき、参加者はメモを書き込まなければならない。書く行為は情報を消化するために役に立つ。何かを書こうとすれば情報を論理的に分析せざるを得ない。電話で顧客と話しをするときも同じだ。書く行為によって情報が整理され、何を話すべきか、聞き漏らしていることはないかを整理できる。
ウィークリーレポート(ロゴスウェアでは全員が1週間の活動内容、次週の計画、イシューを毎週SNSに書くことを義務つけられている)は情報共有という利点に加えて、書く行為そのものが重要となる。1週間単位で自分の活動を振り返り次の計画を練る行為は、自分が目標に向かって正しく進んでいるのかを考える良い機会を与える。
何かを計画するときに、紙に書く行為は物事を視覚的にとらえることができる。それは、ツリー状になっていたり、表になっていたり、マップ状になっていたりする。物事を考えるフレームワークを視覚的にとらえると新しい発想が生まれる。
良い仕事がしたかったら書く行為を習慣づけることだ。構造を考えながら書くと良い。
そういう意味で私は書かない人間をあまり信用していない。