博多華丸の児玉清の物まねを見ているとテレビ番組「アタック25」を見てみたくなる。 このクイズ番組では、最後にトップ賞の人がパリ旅行を賭けたクイズに挑戦する。 盤上に流れる映像をヒントにして、関連する人物や都市を当てるクイズである。 トップ賞の人が獲得できなかったパネルは伏せられ、その分だけ映像が隠れているところがミソだ。
ヒント映像終了後、児玉清が「さて、その〇〇は?」と問い、答えられないパターンは次の2種類だ。
(1) 映像はよく見えていたのだが、そもそもその答えを知らない。
(2) 本来ならばその答えを知っているのだか、映像がパネルに隠されていてヒントがよくわからなかった。
私たちが日常の仕事の中で、コミュニケーションに悩むのは (2)のパターンが多い。 情報が十分に伝えられていれば正しく答えられるが、その断片的な情報しか得ていないときに、正しい答えを導き出せない。 隠されたパネルの部分が少なければ、それを推測してみることもできる。 しかし、かなりのパネルが隠されていると、それは困難である。 厄介なことは質問者側にパネルを隠しているという意識がまったくないことだ。 「わからない」などの期待しない答えが返ってくると憤慨する。 良好なコミュニケーションとは、なんと難しいことか。