今思うと不思議な感じがするのだが、1990年頃、マイクロソフトはWindowsに100%コミットしていたわけではなかった。 同時に複数のOS開発にリソースを投入していた。
当時のパソコン用OSの主流はまだコマンドベースのDOSであった。 アップルはすでにGUIを採用したMacintoshを発売していたが当時のCPU性能では快適にGUIを動かすことが難しかった。 しかし、将来どこかの時点で、GUIベースのOSが主流になることは誰の目から見ても明らかだった。
ただ、いつ、どんなものが、どんな形で、パソコン用GUIベースOSとして市場に受け入れられるのか、誰にもはっきりとはわからなかった。
マイクロソフトの一つのオプションは、OS/2 であった。 OS/2 は、マイクロソフトとIBMが共同開発していたパソコン用OSで、当時、DOSの後継となるGUIベースOSの本命はOS/2 であると信じられていた。 このOSはスクラッチから設計し直され、メモリ保護やマルチタスク処理などが組み込まれた先進のGUIベースOSであった。
一方、マイクロソフトは、自社独自のWindows の開発も続けていた。 こちらは、OS/2 とは設計思想が違っていた。 既に普及しているDOSの上で稼動し、とりあえず見た目だけをグラフィカルにしようというアプローチであった。
また、GUIベースOSがどの段階で広く市場に受け入れられるのかもよくわからず、マイクロソフトはDOSの機能強化にもリソースを投入していた。
整理すると、マイクロソフトは3つのオプションを持っていた。
(1) テクノロジー的に最も優れたものとして OS/2
(2) 市場がなかなかGUIベースに移行しないことを想定して DOS
(3) その中間路線で、DOSの資産を活かしつつ見た目をきれいにした Windows
運命を決定づけたのは、1990年に発売された、Windows 3.0 である。 バージョン1、バージョン2、ともに成功しなかったが、Windows 3.0 はついに売れた。
Windows 3.0 は、当時のCPU80386の仮想86モードを使い、過去のDOS用アプリケーションを複数稼動させることができた。 また、OS/2 ほどの高性能ではなかったが、そのおかげで軽く快適に動作した。 過去を振り返れば、そのようなことが成功の要因であったかもしれない。 しかし、その当時は、何が絶対にうまくいく方法であったかは分からなかったはずだ。
Windows 3.0 の成功で自信を深めたマイクロソフトは、その後IBMと決別し、OS/2 からは撤退する。 DOSにも見切りをつけ、自社開発のWindowsに集中することを決断する。 これが今日の強力なマイクロソフトを作った。
未来が見えづらいときは複数の戦略的オプションを用意し、成功戦略が見つかるや否や資源を集中させる、そのあたりの判断力がビル・ゲイツという人間のすごいところであったのだ。 これは簡単なことではないのだと改めて思う。