今でもマラソン競技で日本は金メダルを取れるのではないかと期待してしまうが、それは幻想になった。いつのころからか(特に男子)マラソンは変わってしまった。
今、世界のトップレベルのマラソンランナーは、5千メートルや1万メートルのトラック競技のようなフォームで走る。 トラック競技のようにペースを上げたり、落としたり、そういう駆引きをしながら走る。 そんなやり方で42.195kmを走りきってしまう者だけが勝つ競技になった。
昔は、トラック競技のランナーとマラソンランナーははっきり別のもので、連続的なものではないと誰もが思っていた。 しかし、何人かの先駆者がそれに挑戦し、成し遂げた。 多くはアフリカ系であり、身体的能力の違いは大きいのかもしれない。 しかし、日本男子マラソンが世界レベルから相当遅れてしまったのは、「トラック競技のように42.195kmを走る」という挑戦から目をそむけ真剣に取り組むのが遅れたことも大きいだろう。
仕事のやり方は、今、マラソンの進化と同じような道をたどっていると思うのだ。 20年も前は、日本は長期的な視野に立ち事業をするから強く、アメリカは短期的だからダメなのだという話がされていた。 その後、市場は一段と動きが速くなり、短いサイクルで需給関係が変動するようになった。 長期的視野だけでは生きられなくなった。 短期の勝負を無視するわけにはいかなくなった。
一方で、長期的視野は常に大事だ。 既に先駆者は、「トラック競技のように42.195kmを走る」やり方を成し遂げようとしている。 彼らは、決して短期の勝負からは目をそらさない。 雑念を捨て、強い集中力を持って、すごい速度で成果を上げるのだ。 その一方で、大きなビジョンを持ち、誇りあるミッションを持ち、長期的な方向性を失わない。
現実を直視しよう。 「トラック競技のように42.195kmを走る」術を習得しなければいけないのだ。
短期的勝負のためには、雑念を捨て、集中するやり方を身につけなければいけない。 今、瞑想をしたり、運動をしたり、GTD的情報整理術をする人が増えているのは、こういうことに人が気づき始めているということだろう。
長期的勝負のためには、ビジョンやミッションを持たなければいけない。 私たちに何十年にも渡ってエネルギーを与え続けてくれるものだ。 このエネルギー無くして走り続けることはできない。