巨匠フェデリコ・フェリーニの映画に「オーケストラ・リハーサル」というものがある。
ある寺院の礼拝堂を舞台に、そこでの演奏のために集まって来た音楽家たちのリハーサル風景をドキュメンタリー・タッチで描く。
演奏家たちはみな個性的で、楽器を深く愛し、音楽家としての誇りを持っている。 ただし、まとまりが何もない。 音楽を勝手な解釈で演奏をし、他の人が弾いているときには勝手なことを始めてしまう。 指揮者が仕切ろうとすると、「俺たちは芸術家だ、誰にも指図されたくない、指揮者なんていらない、メトロノームで十分だ」 と文句をいう。 しかし、実際にはまったく演奏にならないのだ。
組織とは何かを考えさせてくれる映画だ。
個人の自由と組織の規律のバランスには、細心の注意を払わなければならない。 特に、ソフトウェア開発会社で、それは生命線だ。
私たちは自由でありたいが、自由放任であってはいけない。 そうでなければ、結局すべての人の目標を達成できない。
違います。
この映画は祈りについての映画なのです。
もちろん、当時の政治風刺はありますが。
我々はなぜ祈るのか、そして人々が共同するとは、本来、ひとつの祈りなのではないかということが語られています。
私たちは確かに自由なのです。そして個人の自由と組織の規律には本来なんの関係もありません。組織の規律は個人の自由を縛ることはできません。両者はいわば乖離概念なのです。個人の自由は死によって挫折します。しかし、理由も原因も不明ながら、再び個人の復活と回心がある。それが祈りです。フェリーニの作品は何よりもキリスト教世界の映画です。そこにある人間の死生観、悲しみと希望を礎石に教会、すなわち共同体が存立する、そんな映画です。
専門人の組織について考えたければ、フェリーニよりもウェーバーの著作をお読みになった方が有益でしょう。企業人としてフェリーニの映画から読み取れることは、組織は規律ではなく、人間性というものに礎石を置いているのだということでしょう。そういう意味では冠婚葬祭を企業はもっと大事にすべきですね。