出エジプト記


旧約聖書の中に納められた物語の中でも、出エジプト記はとりわけドラマティックで面白い。

当時多くのイスラエルの民は、エジプトで奴隷となって暮らしていた。ある日、神はモーセに命じた。イスラエルの民(その数60万人以上)をエジプトから脱出させ、神がイスラエルの民に約束した地、カナンに導くようにと。

この旅の途中、イスラエルの民はあまりにも身勝手であった。のどが渇いたといっては愚痴を言い、腹が減ったといっては文句を言い、肉を食いたいといっては不平を言う。その度ごとにモーセは、神に許しを請い、神は奇跡を起こし彼らを助けた。

しかし、彼らが神との契約、十戒をそむくようになり、神の怒りは頂点に達した。モーセも燃え上がった怒りの中で、十戒が刻まれた石の板を叩き割り、神に背く者たちを処刑した。しかし、イスラエルの民の全てが神の怒りによって滅ぼされることを望まず、再び神に許しを請うた。

いよいよカナンの地を目前にすると、カナンの地に住んでいるものたちとの戦いにおびえた。「我々はエジプトの地で死んだほうがよかったのに、なぜ我々を連れてきたのか」とモーセを責めた。それは神を再び怒らせ、それから40年の間、荒野をさまようことを命じられた。

40年におよぶ放浪の旅の中で、神に不平を言った人たちは全て死に、イスラエルの新しい世代は、荒野で羊を飼うことに慣れ、敵と戦うことに巧みになり、鍛錬され、信仰も強くなった。 そして、遂に神がイスラエルの民に約束した地、カナンに入るのである。

出エジプト記は、3つのことを教えてくれる。

  • 第一に、人間の欲求には限りがないこと。あることが解決すると、別の不平・不満が生まれる。それが解決されると、更にまた別の不平・不満が生まれる。 ものごとを改善することが新たな不平・不満を生むというパラドックスがあることを教えてくれる。
  • 第二に、人の考えが変わるには、大変な時間がかかること。 エジプトで何世代にもわたって奴隷の状態にいたイスラエルの民は、何をせよ、こうせよと命令されることに慣れた臆病な民になってしまっており、それが変わるのに、40年におよぶ放浪が必要であった。
  • 第三には、モーセが示したリーダーとしての行動である。彼はどんなときにも、神を信じ、イスラエルの民のために神に祈った。しかし、戒律を破った者に対しては、断固とした処分を行った。十戒の刻まれた石には、人を殺してはいけない、と確かに記されていたはずである。しかし、イスラエルの民をカナンの地まで導く旅を続けるためには、彼はそうしなければいけなかった。アメリカ人にはおそらく旧約聖書の物語は身体に染み込んだものであり、彼らのリーダー像というのは、たぶんにモーセの影響があるのかもしれない。

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