契約書


ソニー創業者の一人 故盛田昭夫の著書 「MADE IN JAPAN」 の中に、契約書のことが書かれている。

「日本の契約書には「もし本契約の期間中に、当事者のいずれかに本条項についての異議が生じた場合には、両者は誠意を持って協議するものとする」という条項が最後に書かれるのが一般的だが、アメリカ人にはこれは信じられないことのようだった。」 と書いている。

確かに私たちが目にする契約書にはこの一文が必ず入っていて、それは常識だと思っていたが、どうも世界的に見ればそういうことではないらしい。「MADE IN JAPAN」は1987年の著書だから、20年経過しても、この状況は変わっていない。

冷静に考えてみれば、この契約は変だ。 契約が契約であるならば、「もし本条項に違反した場合には、XXXXの賠償金を納める」のような書き方になっていないとおかしい。 それなのに日本の契約書は、「もし破ってしまうようなことがあっても、まあいいですよ。そのときは話し合いましょう」と言っているわけだ。 これでは厳密には約束にはならないので、論理を重んじる外国人には理解不能であろう。

私たちは日本人で日本でビジネスをしているから、それでいいではないかという考えもある。 実際多くの契約書は、それが問題になることはない。 ただ、どうもこの約束をはっきりさせないという日本独特のやり方がソフトウェア開発の契約では、少なからず問題を引き起こすように思われるのだ。

ソフトウェアプログラムの開発は極めて論理的な仕事で、論理が崩れると、その土台からやり直さなければならない事態に陥る。 このような世界で、契約面だけが非論理的であることに違和感を覚えるのだ。 ソフトウェア開発では、最初に要件定義や仕様書などを作成し、それに基づいてプログラミング作業が始まるわけだが、その要件定義や仕様書が途中でいとも簡単に変わってしまうのだ。 これが時として、「もし破ってしまうようなことがあっても、まあいいですよ。そのときは話し合いましょう」と笑ってすまされない事態を引き起こすように思われるのだ。

要件定義や仕様書を始まったら一切変えるなと主張するつもりはない。 実際そのようなものを開発の初期段階で全て把握して書くなんて誰にもできないし、それは馬鹿げている。  せめて、要件定義や仕様が変わったら、こうしましょうね、と約束しておくべきなのだ。

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