ネガティブパワーには注意を払え


人間は誰にだって、新たなものに挑戦してみよう、現状を打破してもっと素晴らしいものにしよう、という前向きな力、ポジティブパワーがある。

一方で人間は、変わったことはしたくない、このまま無難にしていればいいじゃないか、やっても無駄じゃないか、新しいことをするのは億劫だ、というような否定的な力、ネガティブパワーも持っている。

私の実感としては、ポジティブパワーはまわりの2~3人の人間に影響を及ぼすが、ネガティブパワーはまわりの10人の人間に影響を及ぼす。

一般に、会社の規模が大きく社員数が多いほど、ネガティブな雰囲気が蔓延し消極的になっているのはこのためであると思う。

ベンチャー企業のスタートアップ時などは夢と希望に溢れたポジティブパワーに満ちているのが普通だ。 少人数の社員しかいない中に、ポジティブパワーが強い創業者、起業家の影響が色濃く反映されるからだ。

成長とともに社員数が増えていく段階で、ポジティブパワーが衰えないように細心の注意を払う必要がある。

第一に、ネガティブな人間を採用してしまわないように注意を払う必要がある。

第二に、会議、メール、会話、その他の日々のコミュニケーションを注意深く観察し、ネガティブな雰囲気を根絶するように行動することだ。

第三に、それでもネガティブな人間がいる場合は、その処遇について考えることだ。

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会社と社員のパートナーシップ


昔、学生の頃、経済学の授業で、「搾取」について講義を受けたことがる。マルクス経済学というものだ。資本制のもとでは資本家は労働者から搾取している、というのだ。

この考えによると、労働者は、一定期間(例えば、8時間とか)の労働力というものを売り、資本家はそれを買うのだという。資本家は、労働力を買ったのだから、その使用権を得てそれをどのようにでも使うことができる、という。資本家は、労働者への賃金支払に必要な労働力(例えば、これを5時間としよう)を超えた分(つまり、残り3時間分)を搾取するのだという。

共産主義やマルクス主義は、こんな考えで資本主義を批判するらしい。まったく馬鹿げている。

少なくても自分が会社員であったときにもそんな風に考えたことはなく、経営者になった今でもそんな風に考えることはない。

大体において、労働力を売買するという考え方に違和感がある。資本家と労働者階級をはっきり分けているのも気に入らない。そこからイメージされるのは、明治時代や昭和初期の頃の工場で、あくどい資本家に奴隷のようにこき使われる工場労働者たちだ。

あまりに古臭い考えなので、今や共産党でさえ「搾取」などという言葉は使わなくなったと思っていたが、どうもそうでもないようだ。労働法改革に対する労働組合などの反応は、ほとんど大昔の共産主義的考えそのままだ。

今、企業経営は会社と社員のパートナーシップに重点を置いている。お互いが協力して共通のミッションを達成するために共に働く関係だ。そして、会社は全てのステークホルダー(顧客、社員、株主)を幸福にするために存在するのだ。少なくても、ロゴスウェアではそうしたい。

私たちは未来に向かって進みたいのだ。進化した組織、進化した働き方が必要だ。大昔に戻るなんてごめんだ。

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「オーケストラ・リハーサル」


巨匠フェデリコ・フェリーニの映画に「オーケストラ・リハーサル」というものがある。

ある寺院の礼拝堂を舞台に、そこでの演奏のために集まって来た音楽家たちのリハーサル風景をドキュメンタリー・タッチで描く。

演奏家たちはみな個性的で、楽器を深く愛し、音楽家としての誇りを持っている。 ただし、まとまりが何もない。 音楽を勝手な解釈で演奏をし、他の人が弾いているときには勝手なことを始めてしまう。 指揮者が仕切ろうとすると、「俺たちは芸術家だ、誰にも指図されたくない、指揮者なんていらない、メトロノームで十分だ」 と文句をいう。 しかし、実際にはまったく演奏にならないのだ。

組織とは何かを考えさせてくれる映画だ。

個人の自由と組織の規律のバランスには、細心の注意を払わなければならない。 特に、ソフトウェア開発会社で、それは生命線だ。

私たちは自由でありたいが、自由放任であってはいけない。 そうでなければ、結局すべての人の目標を達成できない。

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組織図というもの


ロゴスウェアを始めた当初、私たちには組織図というものはなかった。 5、6人でやっていたので、それは必要ではなかった。 一人ひとりがいろいろな役割をこなさざるを得なく、何の役割を担うかは一人ひとりの強みに依存していた。  職務内容に人をアサインしていたのではなく、人に仕事をアサインしていた。

しばらくたって、人が増えてきたので、組織図なるものを作った。 面白いことに、組織図ができると仕事の効率は落ちた。 組織図がまずあって、それに人がアサインされている、という意識にとらわれてしまうようだ。  自分の役割を固定しすぎるのだ。 これでは組織は機動的ではない。 まずは人ありきであるべきだ。 一人ひとりの強みに合わせて仕事がアサインされ、それが組織図という形に表現できたら素晴らしい。  そのとき、組織図は綺麗な図ではないかもしれない。 また、頻繁に変わるかもしれない。

以前インテルで働いたとき、何度かアメリカで仕事をする機会があった。 私に用意された机にPCはあったのだが配線がしていなかったので、机の下にもぐりPCのAC電源を差したり、本体にモニターのケーブルを差したりしていた。 そのとき通りかかった人が言った。 「おいおい、おまえはテクニシャンか?」  どうも、アメリカではこの手の作業をするのはテクニシャンと呼ばれる職種の人たちで、エンジニアはそういうことはしないようなのだ。 馬鹿げていないか?

私たちは組織図を無くすことはできない。 それでは、あまりに無秩序すぎる。 ただ、組織図に縛られて身動きがとれないようにはしたくないのだ。

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プログラマーは誇り高い仕事


日本でプログラマーなどのソフトウェア開発の仕事は、「厳しい、きつい、帰れない」の3K仕事という見方が定着してしまった。

どうしてこんなことになってしまったのだろう。 「プログラマー」=「3K」という見方をする国を日本以外に知らない。 日本固有の何か特別な事情があるのだ。

第一に、元請け - 下請け - 孫請け - ・・・・・ のような階層構造が存在する。 ソフトウェア開発では、最初の仕様設計が重要な意味を持つが、ここが初期段階で、かなりいい加減に行われてしまっている。  当然、途中で仕様変更となる。 どんなものでも、後になればなるほど、変更は容易ではないことは誰にでも理解できることだ。 しかし、顧客には、それはお金をもらった側が何とかすること、という甘えが存在する。 元請けには、それは、下請け、孫請けが何とかすればいいこと、という甘えが存在する。 最後のしわ寄せが下請け、孫請けのプログラマーに集中してしまう。

第二に、プログラマーの派遣が横行している。 派遣会社がそうしているのみならず、ソフトウェア会社と称しているところが実態はプログラマーの派遣であったりする。 ここでは、ソフトウェア開発作業を成果で請け負うのではなく、派遣プログラマーの時間を売っている。 プログラマーという職業は人によって能力の差が大きい。 最高のプログラマーと最低のプログラマーでは、20倍の仕事量の違いがある。 極端なことを言えば、できの悪いプログラマーほど、売上げに貢献するのだ。 従って、そのような会社は、派遣先からクレームがこない程度にプログラマーを教育をするかもしれないが、最高のプログラマーに教育しようという動機がない。

たぶん、理由はもっとある。 しかし、ここで言いたいのは、そんなことをしなくたってソフトウェア開発の会社は成り立つし、そうしなければいけないということだ。

本来、プログラマーは、知的で、創造的で、誇り高い仕事のはずだ。 今やソフトウェアプログラムは何だって作れるのだ。 学校だって、お店だって、ゲームだって、コミュニティだって、広告だって、銀行だって、何でも作り出せるのだ。 芸術家のように人を感動させることだってできる。 素晴らしいことではないか。

不幸にも、3K職場に就職してしまったプログラマーへ

機会があったら、ロゴスウェアのサイトを見てください。 ロゴスウェアで働くことに興味をもたれたらコンタクトしてください。

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