PRESENTERコンテンツをブログに貼り付ける


Logosware PRESENTER3 は、「映像・音声」と「スライド」を完全同期させたFlashコンテンツを短期間・低価格で作るサービス。また、このようなコンテンツを自分で作りたい方々向けには、作成ソフト PRESENTER3 Maker も用意しています。

Logosware PRESENTER3 は、スキンと呼ばれる外観デザインを自由に選べるのも大きな特長。 今回、新たなスキンとして「ブログパーツ」の提供を開始しました。

この「ブログパーツ」スキンを使うと、ブログやWebページ内に貼り付けるタイプのコンテンツが作れます。 つまり、次のように。

 

 

従来、eラーニングなどの教材作成用として使われることの多かったPRESENTER3 ですが、これからは商品紹介用としても是非ご活用ください。 

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組織が学習をする


ピーター・ドラッカーは著書「経営者の条件」の中で述べている。 

今日では知識を基盤とする組織が社会の中心的な存在である。 知識や理論を使うよう教育を受けた人たちが、ますます多くの組織の中で働くようになっている。 彼らは、組織の目的に貢献して初めて成果をあげることのできる人たちである。

人々は組織の中で働くことを学習しなければならない。 組織への貢献を通して成果をあげることを学習しなければならない。

これは、今日の社会を生きるものの鉄則である。

つまり、私たちにとっては、組織の単位で学習することが何よりも重要なのだ。

仮に各個人が何かを学習していたとしても、組織がそれを共有し活用しない限り、意味を持たないのだ。

学習を個人的な行為ではなく、組織的な行為として捉え直さなければならない。 

私たちは、インターネットによってこれを支援したいと思っている。

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OJT


仕事の中での教育となると、今も昔も、中心はOJTとなる。

OJTでは、日常の仕事の中で、日常的な業務を行いながら、仕事に必要な知識、技能、経験を身につけていく。

OJTが社員教育の中心となってきたのには理由がある。

  1. 仕事を通じて教えるので、教える内容が具体的になる。 
  2. 特別な教育の時間をもうけるわけではないので、教える側も教わる側にも時間的な負担が少ない。
  3. 特別な教材の準備がいらない

そのようなわけで、体系立てたカリキュラムを必要とする一部の教育を除けば、OJTが今後も職場での教育の中心として存在するはずだ。 

特に、日本の職場ではそうであろう。 アメリカのように、あらゆることをドキュメント化し、マニュアル化する習慣がない。 日本では人から人へ暗黙知のように伝えられることが多いのだと思う。

このことにeラーニングは無頓着でなかったか?  あらゆる知識が文字で書かれて、そこに存在していると錯覚していなかったか?

インターネットを使うと OJT をどのように進化させることができるかに真剣になろう。

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生涯学習


二種類の仕事がある。

一方の種類の仕事は、どんどん単純化されている。 複雑な処理はコンピュータがやってくれる。 最低限の教育だけで仕事ができるようになっている。

一方の種類の仕事は、どんどん複雑化している。 絶え間なく高度な知識や技能の獲得を必要としている。 多くの人が、責任のかかる判断を即座に下さなければならなくなっている。  

昔、会社の仕事は90%の単純な仕事をする人と10%の複雑な仕事をする人で構成されていた。

今やそれは逆転している。 日本のような高度に発展した経済大国において、単純な仕事は国際競争力を持たない。 そのような仕事の多くは賃金の安い国外の労働力に委ねなければならなくなっている。

必然的に日本人の仕事として求められるものは、高度で複雑な仕事となる。 高い知識と技能が求められる。 

このような背景があるから、仕事をするものは学びつづけなければならない。 働いている限り、生涯にわたって学習しつづけなければならない。

ロゴスウェアが達成したいことは、人が生きていくための、そして組織が成長しつづけるための生涯学習のモデルを支援することだ。  私たちのユニファイド・ラーニングのビジョンは、単純なドリルのようなものを覚えさせるためのシステムではない。

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プログラム学習の亡霊


文部科学省のサイトでは過去の教育白書というののが閲覧できるようになっている。

昭和39年の「我が国の教育水準」の中にプログラム学習という項目がある。 次のように書いてある。

いっせい授業のもとでは,学級の多くの生徒は教師の講義を真に理解していない場合が少なくない。プログラム学習とは,このようないつせい授業の効率の悪さに対する反省の上に立つて,ひとりひとりの生徒に学習を成立させることを目標として生み出された新しい教育方法である。

この方法は学習者に学習のプログラムを示し,それに従って ひとりひとりが,その能力差,個人差に応じてそれぞれの早さで,あるいはそれぞれ異なった過程をふみながら学習していくことをその特色としている。

プログラムは単純な問題(ステップ)に分析し,児童生徒の能力に応じてそのステップの解答,訂正を継続していくことによって学習事項を理解されるようにつくられているものである。このプログラムは,いわゆるティーチンダマシンによって提示される。

昭和39年ということは、今から44年も前の記述である。  何と現在のeラーニングと同じ発想ではないか。 違いは、昔のプログラム学習ではティーチングマシンと称する機械で出題されていたが、現在のeラーニングではインターネットを使うというだけだ。

佐伯 胖著「マルチメディアと教育」によれば、このようなプログラム学習を推進していた人たちは、1970年代に姿を消してしまったそうだ。そこには、人間が「本当にものがわかる」とか、「ものを理解する」とはどういうことなのかの視点が欠けていたからだという。 

それにかわって台頭してきたのが認知心理学なのだという。 その思想は、「人間は外界からの一方的な働きかけにしたがって学習を進めるような存在ではなく、みずから世界を意味づけ、ものごとを説明し理解するために積極的に世界に働きかける存在である」というものであるそうだ。

「プログラム学習という40年も前の亡霊がインターネットという世界に復活しeラーニングと名前を変えた」 - eラーニングがいまひとつ浸透しない理由はこういうところにあるような気がするのだ。 そして、eラーニングは単純にそのようなものであってはいけない。

eラーニングは今、明らかに進化が求められている。 

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