ハンガリー系ユダヤ人


以前勤めていたインテルの創業者にして、20世紀の偉大なる経営者の一人、アンディ・グローブが、ハンガリー系ユダヤ人であることは勿論知っていた。

1992年 「イングランド銀行を叩き潰した男」と呼ばれ、1997年 「アジア通貨危機を引き起こした男」と呼ばれた、最強の投機家 ジョージ・ソロスもハンガリー系ユダヤ人であることを後ほど知った。

数学、物理学、経済学、論理学、コンピュータ、その他数多くの領域でものすごい偉業を成し遂げた、フォン・ノイマンもハンガリー系ユダヤ人であることを知った。

興味を持ったので調べてみると、ハリウッド映画産業を興したのものハンガリー系ユダヤ人らしい。 「20世紀フォックス」を創立した、ウィリアム・フォックス。 「パラマウント」を創立した、アドルフ・ズーカー。 「ユニバーサル映画」を創立した、カール・レムリ。 (ついでに、「ワーナー・ブラザーズ」を創立した、ベンジャミン・ワーナーは、ポーランド系ユダヤ人だ)

その他にもたくさんいる。 興味があったら探して、教えて欲しい。 著名な音楽家、企業家、科学者、ノーベル賞受賞者、などがたくさん見つかるはずだ。

ハンガリーという国は人口約1,000万人の小国である。 そのうち、ユダヤ人は10%もいないであろう。 ここから、どうしてこれだけの人材が輩出されるのか? 同じ人間なのだから、脳の構造が違うということはないはずだ。 それは、何かの習慣なのか? 価値観なのか? 教育なのか?

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適正規模


銀行も、家電量販店も、デパートも、製薬会社も、その他多くの産業で、合併による企業規模の拡大が続いている。 これらの業種では、規模が重要な力の一つなのだろう。

企業の適正規模はどれくらいのものなのだろうか。 業種によって違う。 一般的に言えば、ロゴスウェアがやっているようなWebソフトウェア開発の世界であれば、このような大きな規模は必要としていない。 しかし、小さいながらも一定の適正規模には到達させなければいけないと思っている。 しかも、可能な限り速やかに。

ロゴスウェアはスタート時点で数名の社員しかいなかった。 創業からまもなく6年になるが、2007年5月時点で社員数は30名ほどである。 今では、当時よりずっと品質の良い製品やサービスを顧客に提供することができる。 今の方が顧客の満足度は高まっているはずだ。

しかし、適正規模には、まだ人を増やす必要があると感じている。 いまやWebの開発はずっと複雑になったのだ。 CSSでデザインを組んだり、AjaxやFlashで画面を作ったり、ビデオを編集したり、CMSを組み込んだり、ブログを構築したり、セキュリティ対策を施したり、SEO対策をしたり、開発のテストプロセスを管理したり、データベースを組んだり、とにかくいろいろな専門知識を持った多くの人材 が必要だ。

一定の適正規模に到達するまでは、私たちはあらゆる方面の能力を向上させ続けることができる。 顧客には、より良いものをより低価格で提供できるようになるのだ。

「2~3名でやっているから低コストでやれます。 きめ細かいサポートができます。 中小企業の味方です。 」 などと書いている会社のホームページを見ることがあるが、これは完全なまやかしである。 確実に何かを犠牲にしている。 それは、一級の技術を提供できないことだったり、品質管理を疎かにすることだったり、アフターフォローができないことだったりする。

ベンチャーのスタート時点では、数名から始めなければならないから、いくつかの制約が生じてしまうのは避けられない。 ロゴスウェア自身もそうであった。 しかし、ずっとそうであっていいということでは決してない。 顧客に最高の価値を提供できるようになる適正規模まではもっていくべきである。 顧客に犠牲を負わせてはいけない。

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教育のマスカスタマイズ


教育の問題が新聞などに掲載されない日はない。 ある者は「競争原理を学校に導入せよ」と主張し、ある者は「基礎学力向上には詰め込み教育が必要だ」と主張し、ある者は「見守る教育が必要だ」と主張する。

考えてみれば、教育問題は、20年前も問題であったし、今日でも問題だ。 日本でも問題であるが、アメリカでも問題だし、フランスでだって問題だ。 つまり、世界中、どの時代でも問題であって未だに解決はしていないのだ。

企業などの人材開発においては、状況対応型が用いられる。 つまり、黄金の法則などなく、誰にでも通用する最適のやり方など無い、ということが前提となっている。 人は一人ひとり、それぞれ状況が違うのだから、一人ひとりに適合したやり方を選ばなければいけないという考え方だ。 考えてみればこれはもっともなのだ。 新入社員や仕事を変わったばかりの人は明確に規定された仕事を与えるべきだし、こまめに進捗を見ていかなければいけない。仕事に慣れてくれば組織の目標や価値観から自ら何を成すべきかを考えるだろう。 これらの社員には自己管理が適している。

学校はどうだろう。 生徒は一人ひとり状況が違うはずだ。 非常に学習意欲を持った生徒もいるし、その逆もいる。 学習意欲を持った生徒に詰め込み教育は間違っているかもしれない。 自ら考え、課題を見つけ、学習する能力を向上させた方が良い。 学習する習慣が身についていない生徒には訓練が必要かもしれない。 いずれにしても、一人ひとりに最適なやり方を提供してあげられれば素晴らしい。

昔、フォード自動車創業者 ヘンリー・フォードが、低コスト大量生産のモデルを語るために、「黒ならば、どんな色でもどうぞ」と言ったという話は有名だ。 昔は、単一仕様のものを低コストで大量生産するマス製品と、安くはできないが一人ひとりのために作るカスタマイズ製品の2種類があって、両方同時にはできないと信じられてきた。

今、産業界で求められているのは、マスカスタマイズ製品だ。 大量生産品のような低コストで、一人ひとりのためにカスタマイズされた製品である。 これを実現したのが情報技術だ。 アマゾンは、一人ひとりの好みを把握し、提案している。 ウェブの広告は、一人のひとりに最適なものが表示されるように日々進化している。

教育のマスカスタマイズができないのだろうか?  教育におけるITの活用とはこういうことを実現していくことだと思う。

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イシューというもの


ロゴスウェアでは、日々の仕事のやり方は一人ひとりの裁量にまかされているが、守らなければいけないいくつかの約束はある。 その一つは、ウィークリーレポートを書くということだ。 毎週金曜日に、その週に達成したこと、次に達成しなければならないこと、そしてイシューを記載して全員に公開しなければならない (今は、これはSNS上で公開されている)。

issue を英語辞書で調べれば、「論争点」、「問題点」といった意味が記されている。 誤解を招く可能性があるので、私たちは、そのまま英語で issue イシューと呼んでいる。  論争点や問題点と言うと、何かひどくネガティブな印象を与えがちであるし、何かまずいこと、何かトラブルになっていることを指摘さえすればよいというような誤解を与える。 私たちが、イシューで書くべきことはそのようなことではない。

ここに何かうまくことが運んでいない事象があったとしよう。 それってどういうことだろうか?  重大なことなのか、些細なことなのか、急を要するのか、ゆっくり考えればいいのか、影響を与える範囲はどの程度なのか、そのようなことを知らなければならない。 そして、イシューとは、そのようなものに対して、どういうポイントで考えればいいのだろうか、どういう視点で考えればいいのだろうか、を指摘することである。

例えば、ある製品の品質が悪化しているという問題が発生したとしよう。 イシューで指摘すべきは、単に「品質に問題がある」と記載することではない。 これをどのようなポイントで考えるべきだろうか。 人的リソースなのだろうか、開発プロセスなのだろうか、あるいは何か別の考慮すべきポイントがあるのだろうか、イシューとはそういうことを指摘することである。

これは、私たちにとっては一石二鳥である。  第一に、 会社のいろいろなプロセス上の問題が解決する。 第二に、これを繰り返すと、一人ひとりの論理思考能力は自然と鍛えられる。

とはいっても、優れたイシューを誰でもすぐに書けるものではない。 習熟度の低い時点での典型は 「特にありません」だ。 イシューがどれだけ書けるかはその人の習熟度のバロメータにもなる。

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大事なことは中を調べよ


前の会社に勤めていて、まだエンジニアをしていた頃に聞いた話である。 その頃は、ノートPCを設計するのはまだ技術的にかなり難しかった。 どうやって放熱するのか? どうやればプリント基板を小さいスペースに押し込めるのか? どんな部品を使うと小さくできるのか?  どうやって使っていない部品への電源供給を停止するのか?

ある時、社員のある者が台湾の会社との打合せのために出張した。 そのとき、ノートPCの新製品を持参した。 その製品はかなりの出来栄えで、とても小さく、薄く、そして電力消費が少なかった。

会議は長時間に及んだため、昼休みをとり部屋に戻ると、なんと持参したノートPCが、その台湾の会社の者たちによって分解されていた。 「何をしてるんだ?」と問い詰めると、「どうやって設計されているのか中を見ていたんだ」と事も無げに答えたと言う。

今回のメッセージは、「他人のものを勝手に分解せよ」 ではない。 「大事なことは中を調べよ」である。

今、あらゆることが複雑になってしまったので、全てを分解して理解しようとしていたら、それで一生終わってしまうかもしれない。 自動車がどういうメカニズムで走るかを知らなくても特に不便でもなく、テレビがどういうメカニズムで映像を映すのかをしらなくても何も困りはしない。 ただ、自分にとって大事なことだけは、ブラックボックスにしないで、中を調べた方が良い。

技術者はビジネスというものをブラックボックス化しすぎる。 マーケティングやセールス担当者はテクノロジーをブラックボックス化しすぎる。 以前は、これでも通用したかもしれない。 なぜならば製品は単一機能で動き、ビジネスモデルは単純であった。

今や製品やサービスはネットワーク化している。 特にIT系の製品はそうなのだ。 他社の製品と自在に連結したりもする。 そうなってくると、ビジネスモデルも複雑化する。 昔のように、単体製品に値段をつけて店で売ればいいというわけにはいかない。 どこに収益を生む仕掛けを作っておくかは、テクノロジーを知らずして語れない。 逆に、ビジネスモデルを考慮せずに製品を開発しても価値を生み出さない。

大事なことは中を調べよ

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