メタ認知


「名選手、必ずしも名監督にあらず」 は、スポーツでよく語られる言葉だ。

名選手といわれる人たちは、概ね才能に恵まれているので、打ったり、投げたり、蹴ったり、をいとも簡単にやってしまう。 監督になったときに、選手がなぜそんなことができないのか、がわからないのだ。

さて、「何がわからないのかがわからない」という状態は教育とか学習とかの世界でよく起こることだ。

こういうのを「メタ認知」の問題というのだそうだ。

メタ認知とは、「自分は何がわかっているのかがわかっている」、あるいは「自分は何がわかっていないのかがわかっている」状態だ。

メタ認知ができていなければ、「自分は何を知らないのかを知らない」わけだから、「何を聞いていいのかもわからない」、「何を学習していいのかもわからない」 となってしまう。

こんな状態では、わからないところは何でも聞きなさい、足りないところは勉強しなさい、などと言っても何の役にも立たない。

ということで、まず 「メタ認知している」状態を作らないといけない、となる。

で、どうやるのだろう?

ギリシャの偉大なる哲学者ソクラテスは「優れた人間は自分は何も知らないということを知っているということにおいて優れているのだ」と語った。

ソクラテスは、相手に問いかけ、質問をし、矛盾を指摘することによって、相手自身が自ら自覚をし、真理を発見し、知識を創り出すことを助けた。そういう点において、ソクラテスは最も知恵のあるものとされた。 ソクラテスは、対話を通して知識を創造していったのだ。

学ぶということの原点に立ち返れば、ソクラテスのような「対話を通じてメタ認知させる」ことが出発点かもしれない。

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知りながら害をなすな


ピーター・ドラッカーから学ばない経営者はいない。

繰り返し読み、また新たな発見をする。

ドラッカーを読むたびに、立ち止まり深く考えざるを得ない。

機会があれば、経営者以外の人たちも読んでみると良い。 プロフェッショナルをめざす人は是非読むべきである。

なぜならば、ドラッカーの関心は「人を幸福にすること」にあるからだ。

「知りながら害をなすな」とドラッカーはいう。 それがプロの倫理なのだという。 2500年前のギリシャの医師ヒポクラテスの時代からのプロの原則なのだという。

プロは、顧客に対して必ず良い結果をもたらすと約束することはできない、最善を尽くすことしかできない。 だから「知りながら害をなす」ことは絶対にしないと約束し信じてもらわなければいけない。 「知りながら害をなすことはない」と顧客に信じてもらえなければ、プロの仕事の一切は信じてもらえない。

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人に喜ばれるから人に教えてあげようと思う


人に何かを教えてあげて喜ばれるのはうれしいものだ。

人に喜ばれるから人に教えてあげようと思う。  これはあの人の役に立つ情報だと思うから教えてあげようと思う。

単純に言えば、人と人はそういうふうに知識を伝達したり共有したりしている。

強制されたりしてもなかなか知識共有は進まない。 とにかくデータベースに入力せよ、などと言われても気がすすまない。

この原理原則に則れば、知識共有を推進するためにやることは単純だ。

「あの情報のおかげ手助かった、ありがとう」
「これはすごい方法だ。 つぎから自分の仕事がはかどるよ、ありがとう」
「この情報のおかげで顧客に感謝されたよ、ありがとう」

このような交流が見えるシステム、人と人とが感情で結ばれるシステムにしなければいけない、ということだ。

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テレプレゼンス


場所の離れた人たちに、まるでここにいるかのような感覚を提供することをテレプレゼンスという。 インターネットの上で確かなコミュニケーションを築くための重要な概念だ。

シスコのデモを見てみよう。

素晴らしいだろうか?   勿論、素晴らしい。

買いたいだろうか?    買えない。  2、3箇所に設置するだけで、1年間に5,000万円もの金のかかるものを買える人たちは限られている。

テレビ会議のシステムは20年も前から存在する。 画質はずいぶん綺麗になったが、基本的なコンセプトは何も変わらない。 画質が綺麗になったテレビ会議システムをテレプレゼンスと呼ぶならそれには興味がない。

しかし、テレプレゼンスの本質は、「場所の離れた人たちに、まるでここにいるかのような感覚を提供すること」だ。

画質の綺麗なテレビ会議だけがその唯一の方向ではない。 だいいち、値段が高すぎて現実的ではない。

新しいテレプレゼンスを確立しよう。 それはシスコとはまったく違ったアプローチになる。 もっと安価で、それでいてテレプレゼンス感を得られるものだ。

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学ぶということは参加するということ


日本の子供の学力が落ちてきているのではないかと多くの教育関係者が語り、新入社員の能力が低下していると多くの企業経営者が嘆く。

教育の問題が新聞紙面を飾らない日はないくらいだが、こういうことは日本だけでもないらしく、世界中で昔からずっと関心が持たれている課題だ。

「知識や能力が低下するとひどいことになるぞ」と少なくともすべての先進国の人間が恐れている。

知識は国力にかかわることであるし、企業力にかかわることであるし、個人の生活にかかわることであるから当然だ。

ロゴスウェアの仕事の一つは、インターネットを使ってどうやって学習を支援するかだ。

そもそも学ぶとはどういうことなのか?

いろいろな教育関係者が、様々な立場で、それぞれに論じるのでどうにも難しいが、「状況に埋め込まれた学習-正統的周辺参加」という本は一つの素晴らしい概念を提示してくれる。

その考え方とは「正統的周辺参加」というものだ。

ものすごく簡単に書いてしまうと、「正統的」とは「学びとは社会とつながっていなければいけない、社会でどう役に立つのかを実感すること」だ。 「周辺」とは、「失敗してもダメージの少ないところから始めよ」ということだ。

最も大切なのが「参加」という概念だ。 参加するとは、つまり、コミュニティの一員になるということだ。 社会の一員として人とつながりながら共に学ぶということだ。

いまeラーニングの世界を見たときに不足しているのは、「コミュニティに参加しながら学ぶ」という概念かもしれない。

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